恐怖の洞窟「ダク・ヤンゾン」
(2001年夏)

チベット文化研究会会報(2002年4月号)に掲載されたものに加筆し、写真を一部変更したものです。

 前回書いたツォギャル・ラツォの前の日に行ったのがダク・ヤンゾン(sGrags yang rdzong)だった。ダク・ヤンゾンはグル・リンポチェの5大パワースポットの一つとして知られる洞窟群。方角で言うとラサの真南だが、山があるため、ヤルンツァンポ側からアプローチすることになる。
 巡礼の起点となるのは、洞窟のある山のふもとの尼寺ツァセル・ゴンパ。小さな寺だが本堂横の部屋に泊まることができた。お布施10元。なんと売店まであり、インスタントラーメンやスナック、各種飲み物どころかビールや酒まで売っている。トラクターの通るメインストリートからは歩いて30分ほどだ。
 尼さんは十数人はいるだろうか。最年少が16歳で、お年頃の尼さんが多い。そんな「女の園」のまっただ中に男の活仏(トゥルク)が1人。なにかと色々な噂があるらしいが、聞かなかったことにしておく(笑)。



▲ダク・ヤンゾン洞窟群の入口は
 山の中腹にある
 朝7時、トゥン(法螺貝)の音が聞こえて、尼さんたちが読経を始めた。巡礼には朝早く発つにこしたことはない。
 お供をお願いしたネーシェンパ(聖地ガイド)の尼さんは、まだ若いが毎日のようにダク・ヤンゾンのガイドをしているベテランだ。前回書いたように、こちらは男2人。
 目指す洞窟は尼寺の裏手の山の中腹にある。そこに至るまでは、のどかな山道だ。道もきちんと整備されていて、迷うことはないだろう。途中にツァムプク(瞑想用の洞窟)がいくつかあって、今もツァムをする人たちがいる。

 山道を上ること1時間。洞窟の入口に到着した。そこには洞窟の巨大な空洞をそのまま使った寺院があり、尼さんはまず灯明を灯すと、お茶を入れてくれた。ダク・ヤンゾン巡礼はこんなのどかな雰囲気で始まった――と思ったのは、その時だけ。洞窟への入口は、寺院の真上にあるという。寺院の傍らにある階段を上っていくと、そこに現れたのが、はるか上に伸びる、高さ30メートルはありそうな木造のハシゴだった。

「さあ、上りましょう」
 尼さんはサラリと言ったものだ。
 僕は言葉を失った。ほぼ垂直に近いそのハシゴを、はたして上ることができるのか!? ハシゴは絶壁に立てかけられていて、横には何もなく、後ろは崖である。ちょっと手か足が滑ったら……。ちなみに、僕は高い所は苦手だ。

が、ここまで来て洞窟に入らないのでは、意味がない。
「じゃ、先に行きま〜す」
 と、恐怖心を押し殺してあえて先陣を切った。一歩一歩着実に。絶対に下を見ないようにして。それはそれは長いハシゴ上りだった。
 洞窟の入口では、とっとと上ってしまった尼さんが待っていてくれる。が、これで一息つけるほど、巡礼は甘くない。
 いきなり足場が不安定でまともに立っていられない。おそらくは石灰岩でツルツル滑る。しかも、足下には空洞がいくつも口を開けている。ここは、さっきの寺院の天井裏に位置するのだ。

▲左側のハシゴは
明らかに危ない。

 一息つく間もなく、もってきたヘッドランプをオンにして洞窟の奥へと進む。まともに歩ける場所はほとんどない。洞窟というと横に続いているものと思いがちだが、ダク・ヤンゾンは縦に長い。まだまだ上りが続くのだ。ツルツル滑る穴ぐらの中には、巡礼者のためにヤクの毛で編んだロープが張ってある。ロープに必死でつかまって、体を引っ張り上げる。腹這いになって体をくねらせながら狭い穴をくぐらなければならないところもある。そして、こんな洞窟の中にまたまた高〜いハシゴがかけてあったりする。
「下りるわよ」
 尼さんはすたすたとハシゴを下りていく。
 上るより下りるほうが怖いに決まっている。

▲「ペマ・ティンレー洞」と呼ばれる洞窟の中にあるドルジェ・パクモ尊のランジュン。
お布施の1角札が供えられている。
実際には中はまっ暗。

 そうやって洞窟の中を上へ下へと進みつつ、尼さんはポイントポイントでお馴染み「ランジュン」の説明をしてくれる。
 ランジュンとは、岩が自然と神仏などの形になったものだ。断じて、単に「似ている」のではない。神仏がその形になって現れたものだ。
「これが弥勒様のランジュンです」
 と洞窟の鍾乳石を指されて、ついつい「ああ、これは似てるよねえ!」などと言ってしまうのは、たぶん失礼なんだろうな。
 それにしても、ハードなケービングをこなすのに精一杯で、尼さんの説明なんてろくに聞いていられない。立ち止まっているその真下に巨大な空洞がぽっかり口を開け、はるか下に滝のような流れが見えるようなところで落ち着けというのが無理な話だ。

 そんなわけで、どんなランジュンがあったのか、ほとんど記憶に残っていないという体たらく。唯一印象に残っているのは、巡礼のクライマックス、おそらく最高地点にあるグル・リンポチェの瞑想堂だ。天井の鍾乳石から浸み出している「甘露」を尼さんの手からいただき、別に疑っていたわけではないが(笑)、ああグル・リンポチェは本当にここにいらっしゃったのだなと実感。カンドーマに歌を捧げるコーナーもあるので、行かれる方は1曲覚えていくといいと思う。

 しかし、こんなハードなところにやってきて瞑想していたグル・リンポチェもすごいが、その後巡礼に来ようと思ったチベット人たちもすごい。昔はバター灯明の明かりで洞窟巡礼をしたのだろうか? 中で何人か死んでるに違いないと思ったが、
「グル・リンポチェのご加護があるので、そんなことはありません」
と尼さんはきっぱり否定する。
 最後に、推定30メートルの急なハシゴを下りる。上から見下ろしたときには、ゴクリと息をのんだよ、まったく。

▲洞窟の入口近くの岩壁にあるオムの字。
もちろん自然に浮き出た。

 グル・リンポチェのベンネー(隠遁所の聖地)には身(ク)・口(スン)・意(トゥク)があるが、ダク・ヤンゾンはそのうち「身」にあたる。道理でハードなはずである。しかし、一種の臨死体験といおうか、生まれ変わる再生の儀式といおうか……何かをやり遂げたという充実感はひとしお。しばらく「巡礼ハイ」な状態に浸ることができた。

このとき同行いただいた飯田泰也さんによる紀行が
風の旅行社のサイトに密かに掲載されています。

「2001年ウ・ツァンの旅」第1回
第2回第3回

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