ツェチョリン寺本山
お礼参り紀行
(2000年夏・ラサ)

チベット文化研究所の会報に「ディープチベット マニアック巡礼紀行3」として掲載したものに加筆し、写真を加えたものです。

 前々から行こう行こうと思っていて、なかなか行けなかったゴンパについに行くことができた。それはツェチョリン寺だ。
 ダラムサラを訪れたことのある方にはお馴染みかもしれない。マクロード・ガンジを少し下ったところに建つツェチョリン寺は、もともとラサのキチュ河南岸のディプ村にあったものの亡命バージョン。僕が初めてダラムサラに行ったときに泊めてもらったところであり、最初にチベット語を教えてくれたところでもある。僕がこんなふうになってしまった責任をとってもらわねば――ではなくて、感謝の気持ちを込めて、本山のほうにも一度お礼参りがしたかった。ラサのすぐ近くなのに、これまで行く気が起こらなかったのは、本山の無惨な姿を見たくないという気持ちがあったからだと思う。実際、かなり無惨であった。

potala beyond PLA
麦畑からポタラ宮をのぞむ。
手前は軍の建物。
■兵士に睨まれながらクル・サンパを渡る
 キチュ河沿いに走る江蘇路(元リンコル)を東に向かい、チベット大学の前を通ってクル・サンパ(ラサ大橋)に出る。橋の向こう側には、眺めのいいブムパ・リの丘。そこはダライ・ラマ法王の誕生日に、盛大にサンが焚かれるはずの場所だが、近年禁止されている。
 橋には見張りの兵士が立っている。何もやましいところはないのだが、なんだか緊張しながら兵士の脇を笑顔で通り過ぎる。
 橋の反対側の端の別の兵士に睨まれながらクル・サンパを渡って右に曲がる。川沿いにしばらく歩くと、唐突に何軒か商店や食堂が現れる三叉路があり、ここを左に折れる。左側の谷間には麦畑が広がり、のどかな景色が広がるが、右側にはどこまでもどこまでも高い壁が続いている。この壁の向こうは軍の施設。1959年3月、人民解放軍はここからノルブリンカを砲撃したそうである。

Songtsenling■まずはソンツェンリン
 長〜い壁が河の側に直角に折れて終わるあたりで、左のはるか上のほうに何やらお堂らしきものが2つ見えてくるが、それはツェチョリン寺ではない。そうとは知らない僕は、かなりの上り道もなんのその、吸い付けられるようにそのラカンに近づいて行き、着いてしまったのがソンツェンリンという小さなラカンであった。
 入り口を目指して坂道を上っていると、犬が2匹吠え始めた。まあ、いつものことだ。大声で叫んでいると、中から若い坊さんが出てきてくれた。もう一人、年輩の僧がいて、建物の中を案内しながら(といって一部屋しかない)、いろいろ話をしてくれたのだが、書かないほうがよいだろう。とてもとても辛かった、今も辛い、ということだ。
 彼は「ゴンパはあっちだ」と言って、下の村の中にある林に囲まれた、いかにもゴンパらしい建物を指さした。あのへんを目指せばいいんだな、とわかったような気になったが甘かった。村の中に入ると、高い塀と木立に視界を阻まれて、向かうべき方向をすぐに見失ってしまった。結局、通りがかりのオジサンに道を聞き、ようやくツェチョリンにたどりついた。
 高い塀越しに、3階建てだったらしき建物の壁面だけが残っているのが見えた。窓だったらしき大きな四角い穴の向こう側には、ちょっと湿気を含んだ雨季の青空が広がっていた。

tsechokling front■のんびりと再建中
 ツェチョリン寺は18世紀、ダライ・ラマ8世の師であったイェシェ・ギャルツェンによって創建された。かつては、ダライ・ラマ政権のリン・シ(四林)の一つとして栄華を誇ったそうである。中国侵攻と文化大革命によって廃墟と化し、80年代に再建が始まった。
 チョルテンがある庭からのゴンパ正面の眺めは比較的美しい。庭では仏像づくりが行なわれていた。頑張って建て直したね! て感じだ。
 例によって入り口の四天王に迎えられて集会堂に入ると、中の壁画は大々的に描きなおしている最中。集会堂の奥には、できあがったばかりの真新しい三世佛の像がある。
 2階には、まず千体の無量寿仏の部屋。次の部屋には羅漢のタンカ(といっても印刷したものだが)と並んで、ダラムサラのツェチョリン寺の写真がたくさん飾ってあった。ああ、懐かしい顔が……。
 一段高くなった部屋には、創建者イェシェ・ギャルツェンを中心に、デムチョク、ジグジェ、サンドゥなどの像がある。
 ここまでは、なんとか再建されている。
 が、渡り廊下を通って中庭に出たら、壮絶な廃墟。中途半端に壊したものを、中途半端に直してるさまが、よけいに痛々しい。

ruin of Tsechokling■文化大革命の再来?
 ツェチョリン寺には現在18人の僧がいるそうだが、今年のチベット(チベット「自治区」の話)では、文革の再来かと言われるほど宗教活動への制限が厳しく、「自宅待機」の状態になっている僧が多い。近所の人たちも、いつ密告されるかわからないから、おちおち寺参りにも来られない。
 庭で仏像づくりをしていたのは俗人の男たちだった。ちょうどお昼どきだったので、彼らに混じって、お茶とご飯をごちそうになってしまった。ダラムサラのツェチョリンにいたとき、坊さんたちの厨房に飯をたかりに行っていたことを思い出した。
 帰り道、さっき道を聞いたオジサンにまた会ってしまった。
 「ゴンパはどうだった?」なんて聞いてくるのでスパイかと警戒して(ありえる話だ)、「新しい仏像つくってたよ。坊さんが少ないねえ」なんて無難な返事でお茶を濁すと、彼は小指を立てながら中国人の悪口を一方的にまくしたてて「テェ・オ!」と言ってにこやかに去っていった。疑ってごめん。(おわり)


▲ツェチョリン寺の四天王▲
次回はちゃんと寺を守ってほしい

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