カンシュン語学学校
Gangzhon Language School

Gate of Gangzhon
第1校舎校門にあるネームプレートに映るポタラ宮

*1998/12/2更新*


ガンシュン語学学校の概要
ガンシュン語学学校(lhasa gangs gzhon skad yig blob gra)は、1988年に現校長であるロサン・パンデン(Lobsang Palden)が始めたチベット初の私立の語学学校です。

当初、教師1人(つまりロサン氏のみ)と生徒15人だったのが、1993年には1400人にもふくれあがり、校舎も旧市街の小屋からラサ第八中学隣りの立派な建物に移り、さらにそれも手狭になったため、1995年には郊外の敷地を購入して新校舎を建てました。

現在2学期制で生徒数は600人ほど
(数字が減っているのは登録単位が半期ごとになったから)、教師は32人。クラスは28クラスあり、主にチベット語・英語・中国語・コンピューターを教えています。また、さらにドイツ語・フランス語の臨時クラスができることもあります。1994年までは日本語クラスもありました。卒業生はこれまでに7000人にのぼります。


ガンシュン語学学校の良い所
「チベット本土でまともにチベット語が勉強できる」という場所が、次第に減りつつあります。かといって、インドに留学できる子どもはごくわずか。ガンシュン語学学校はそんな貴重な場所の一つです。英語も勉強できるし。

また、卒業生の中は、チベット自治区だけではなく、他省のチベット地域で教師になるなどして、様々な形でチベット人社会全域に浸透していっています。こういった影響の及ぼし方は、北京政府に認められた、この学校の実績があればこそできることです。

また、後に記すように校長自身が身障者ということもあり、障害者教育への試みもなされようとしています。まだ実現はしていませんが、志は買いたいと。


ロサン・パンデン校長
1967年アムド生まれ。幼い頃、病気のため、左足が付随となる。

13歳でラサに出たが学校に馴染めず、デプン寺僧院長の故ジェパ・ケンポ・ロサン・ムンラム師に師事。仏教・歴史・文学等の勉強を続け、18歳のときには雑誌に論文を発表し、さまざまな文学作品を創作していた。

1987年、たまたま英語を個人教授する機会があり、翌年には30人ほどに英語とチベット語を教えるようになる。そしてこの年、家族の資産で学校を開いた。

またたくまに規模が拡大し、それに応じて校舎を移転。1995年に、ラサ東郊外(第3中学近く)の敷地に新校舎を建てる。(写真)

校長みずから英語・チベット語を教え、なおかつラサ市やチベット自治区の諸役職の仕事もこなさねばならないため(共産党員ではありません)、多忙をきわめる。副業として不動産賃貸やコンピューター・ショップも手がけていて、いまのところ成功をおさめている。

1995年にはインディアナ大学に招聘されて講師を務めた。招聘というからいい暮らしをしてたかと思うと大間違いで、皿洗いのバイトをしていたとのこと。

ラサに戻った後、1997年に以前から同居していたかわいい軍医さんと結婚。

1998年、再び渡米。

ちなみに学校名の「ガンシュン」は、「雪の若者」=「チベットの若者」の意味だが、ロサン氏が詩などを書くときのペンネームだ。

経歴は堅そうですが、会ってみると、気さくな「ヤンエグ」って感じ(笑)。まだ若いし、先が楽しみ。

ちなみに身障者のイベントで来日したこともある。彼にとって初めての外国は日本だったそうだ。