(1994年@カム・ソク・ツェンテン) ナクチュで午前8時にヒッチしたトラックは、 |
修復というより新築と言ったほうがいい。
「1959年に中国の飛行機が爆弾を落として寺を壊した」……いきなり物騒なことを言う僧もいた (写真の僧ではない) 。 |
一つ一つのお堂は真新しく、宗教活動は活発そうだった。若い僧が多かったが、老僧がその威厳ある巨体をかがめて、物陰で「くっぱる...」とこっそりささやく姿がかわいかった。「くっぱる」とはダライ・ラマ法王の写真のこと。
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「俺は逃げなかったよ」。
さすがにカムパだけあって、インドに逃げなかったことを誇りに思っている僧も多い。 (写真の僧とは関係ない) いつものようにバター茶やお菓子をたっぷりごちそうになった。 |
かつては600人ほど僧侶がいたが、現在は200人。活仏ゲンドゥン・ンガワン・ズィクトゥルは日本人に初めて会ったそうだ。それが僕だったとは、なんとも申し訳ない話だが。
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