2泊3日カイラス巡礼
(2001年秋/カン・リンポチェ)

チベット文化研究会会報(2002年10月号)に掲載されたものに加筆し、写真を一部変更したものです。

 言わずと知れたカン・リンポチェ(カイラーサ)。
 世界の中心である須弥山にもたとえられ、チベット人なら、いやチベット人でなくとも一生に一度は訪れたい聖地中の聖地である。これから書くのは「ご利益13倍返し」の2002年午年の巡礼ではなく、その前年のお話。

▲何もないチャンタン高原

チャンタンに唐突に現れる街▲
 チベットの交通事情は日々よくなっているが、カン・リンポチェのあるンガリの地はまだまだ遠い。チベット自治区阿里地区の首府センゲ・ツァンポ(獅泉河)まではラサからチャンタン高原を西に向かって5日。途中のツォチェン、ゲルツェ、ゲギェなどは、どこもチャンタンに無理矢理つくったような殺風景な街だが、すでに光ファイバーが通っているそうで、今後発展させようという並々ならぬ決意が感じられる。最近新しくできたと思われる商店や食堂は、四川の漢族よりも青海・甘粛の回族のものが目立った。街の裏山の斜面に冗談のように巨大な「八一」の文字(人民解放軍のシンボルマーク)があるセンゲ・ツァンポから、かつて栄えたグゲ王国の遺跡やトリン寺などを経て、カン・リンポチェの南側の麓にあるタルチェンにたどり着いた。
 カン・リンポチェはヒンドゥー教の聖地でもあり、インド人巡礼者やサドゥーの姿も多い。それにしても、インド人ご婦人がたのヘソ出しサリー姿は実に寒そうだ。

コルラ1日目<北面へ>

 カン・リンポチェ巡礼は、山の周囲の巡礼路を歩いてコルラ(回る)ことに尽きる。チベット人なら1日で1周してしまうが(約52キロ)、外国人は2泊3日で1周するのが一般的だ。
 ラサから一緒に来たチベット人ガイド(以下ダワ君=仮名)がンガリは初めてという都会っ子なので、カン・リンポチェ専門の巡礼ガイドを雇う。デルゲ出身の寡黙なカムパで、まだ幼い息子も一緒についてきた。幼いながらもコルラ経験は豊富で、ダワ君よりもよほど頼りになりそうだ。

ガイドの親子→



▲コルラをスタート。
 正面に見えるのがカイラス
 巡礼の起点であるタルチェンを朝9時頃発ち、ひたすら歩く。
 午前中はカン・リンポチェを南から眺め、午後は西から眺める。見る角度によって実にさまざまなに姿を変える山だ。
 タルチェンからして標高4600m以上。そこからだらだらと5200m程度まで上りが続く。高地順応が済んでいても、決して楽ではない。最低限の荷物しか背負っていないはずだが、ずっしりと重く感じられる。
 が、なんといっても天下のカン・リンポチェ巡礼。この程度の苦労は当然! と日本人らしいストイックな納得のしかたをして耐えた。

 最初に値を上げたのは、なんと(というか、思った通り)ダワ君だった。
 途中からどうも様子がおかしいと思ったら、足にマメができて歩けないという。河原でしばらくぐでーっと休んでいたが、ついに「ひとりでタルチェンに帰る」なんて言い出す始末。しかし、カン・リンポチェに行って三分の一もコルラせずに脱落したとなるとラサに帰って親族友人同僚たちに何を言われるかわかったもんじゃない……そう観念したのか、ダワ君は再び歩き始めた。

 夕刻、圧倒的に美しい北面が現れ、すべての苦労が報われた気持ちになる。カン・リンポチェが最高の聖地と位置づけられていることが文句なく納得できる一瞬だ。
 「雪の尊者」と称えられるのにふさわしい頂が間近に迫り、北面の真正面に陣取る贅沢な立地のディラプク・ゴンパのゲストハウス手前にあるラプツェ(タルチョやマニ石の塚)に到ったとき、意外な事が起こった。
 ダワ君が唐突に、カン・リンポチェに向かって五体投地を始めたのだ。
 マメの痛みに耐えてここまで来た彼なりに感極まるものがあったのかもしれない。普段とても信仰心などあるようには見えないダワ君が五体投地をする姿を見たのは、これが最初で最後だった。

▲カン・リンポチェ北面



▲ヤクに乗ってきた漢族グループ
コルラ2日目<ドルマ・ラ越え>

 ゲストハウスの窓から朝日に染まったカン・リンポチェの北面が見えた。同室になったインド人サドゥーの衣のような鮮やかなサフラン色だ。
 周辺には、漢族や欧米人ツーリストが大勢テントを張っている。近年ツーリストが急増し、タルチェンには大きなホテルも完成している。気になるのはゴミだ。ひとのことを言えた立場ではないが、カップ麺の容器やペットボトルなど、大量のゴミが巡礼路のいたるところに散乱していた。いつか、エベレスト清掃登山ならぬ「カン・リンポチェ清掃コルラ」が必要になるかも。
 さて、コルラ2日目の山場は、なんといっても5668mの峠ドルマ・ラ越えだ。途中の上り坂は、やたらと衣類が脱ぎ捨ててあったり、これでもかというくらいしつこく石積みが続いていたりして、いわくありげな現実離れした風景。途中、何組かのチベット人たちに追い抜かれた。早朝タルチェンを発って、もうここまで来たらしい。

 ドルマ・ラが近づくと、坂がいよいよ急になる。はるか上に見えるタルチョの群れを目指し、10分歩いては休み、5分歩いては休み、ゆっくりゆっくり坂を上って、ようやく峠に達したと思ったら、余韻に浸る間もなく下らねばならない。下りがまた長いのである。日頃の運動不足のせいで、下り坂のほうが膝にこたえる。
 一番元気がいいのは、カムパ巡礼ガイドの息子だ。ひとりでどんどん先に行ってしまい、先に行きすぎて父親の姿が見えなくなって泣きながら戻って来るほどの勢い。
 やっとのことで川沿いの谷間の平らな道に出たら、向かい風がビュービュー吹きすさんでいる。
 しばらく小康状態を保っていたダワ君の足のマメがつぶれて再び立ち往生したが、ズトゥルプク・ゴンパ手前の牧民経営の巡礼テントになんとか転がり込んで宿をとった。

▲ドルマ・ラはまだまだ上


 聞けば、同じ日にタルチェンを発った漢族都会っ子グループのうち、数人は北面にすらたどり着けず、さらに数人がドルマ・ラをあきらめてタルチェンに引き返したという。ダワ君の頑張りも捨てたものではない(かもしれない)。
 テントの中は火があって暖かかったが、枕元に置いた飲みかけのお茶は朝になったら凍っていた。

▲巡礼路にある仮設茶屋の看板

コルラ3日目<温泉へ!>

 3日目はこれといってイベントがないので、正直少々ダレる。なんといっても、手前の山々に阻まれて肝心のカン・リンポチェの姿がまったく見えないのだからつまらない。カムパ巡礼ガイドがあれこれランジュン(岩などが自然に神仏の形になったとされるもの)の説明をしてくれるが、3日も続くとさすがに飽きてくる。というか、ランジュン多すぎ。ナムナニ峰の神々しい姿も、ずっと見ていると慣れてしまって、ありがたみが薄れてくる。

 ダワ君はひたすら「はやくタルチェンに戻ってシャムデ(ヤク肉カレー)を食べよう! チャ・ンガルモ(ミルクティー)を飲もう!」と呪文のように繰り返している。
 シャムデ、ミルクティー……それだけを心の支えに、なかなか着かないタルチェンに思いをはせつつ、メリハリのない最後の数キロを進んだ。

 タルチェンに着くや、食堂に直行して、お待ちかねのシャムデを平らげた。
 その日は本来タルチェンに泊まることになっていたが、コルラの余韻に浸るどころか、まるでカン・リンポチェから逃げるように、マパム・ユムツォ(マナサロワール湖)ほとりにあるチウ・ゴンパの温泉宿へと、とっとと車を飛ばしたのであった。
 おりしも「9・11同時多発テロ」直後。すべての命あるものの幸せを祈るには最もふさわしいタイミングであったが、結局そんなことは頭をかすめすらせず、自分の足を先に進めるだけで精いっぱいのカン・リンポチェ巡礼だった。で、とどめがシャムデと温泉とは、いやあ我ながら情けない。

▲カイラスのふもとに
キャン(野ロバ)が遊ぶ